不都合な真実 An Inconvenient Truth 高野圭介 |
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初めて「不都合な真実」という言葉を聞いたとき、異様な感覚に陥った。 平素から「真実は一つ」と理解し、 「一物一価の原則」とか、「二律背反」を金科玉条としていて、 私は本来「二枚舌」とか「右顧左眄」というような、 「真実を歪める」ようなことにはジンマシンが生じてくる体質保持者である。 それが真実には二つあって、不都合なのと、都合の良いのとの二つ。 そのこと自体、おかしなことなのだが。 意訳すれば、「困ったことが起きた」or「逃げられないが、ほんとだよ」かな? |
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映画「不都合な真実」の訴えている論点は以下の如きものでしょう。(解説から) 元アメリカ副大統領アル・ゴアによる地球温暖化について 描いた映画「不都合な真実」は地球温暖化は本当だ。 将来は壊滅的な状況になるぞ。 それについて考えるのが私達の最優先事項になるんだ、と、 終末論的な主張を発している。 これについて、異論などあるわけではありません。 |
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一方、問題点が狭すぎるという反論もあります。 綺麗な飲料水、衛生な状態、HIV、下痢、マラリアといった基本的な健康管理システム、 そして教育を、地球上の全ての人にもたらすことが出来るのです。 これも同様に最優先事項にすべきではないでしょうか? |
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さて、囲碁における「不都合な真実」を検証します。 「勝ってしまっている碁を負けてしまった」 過去形が矛盾するこれほど不都合な言葉はない。 「勝ちそうな碁を負けた」なら、決して不都合ではないが。 |
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では 「四隅取られて碁を打つな」と「四隅取っては碁に勝てない」 この関係はまさに「不都合な真実」なのです。 布石で「這いずり回って、地を稼いだら・・・、」 「碁は地が最も大切なもの。それで良いのです」と言う説と、 「がめつく稼ぎ過ぎて、勝てるはずがない」と両論がある。 しかし、中央が温暖化で、砂漠化しているのが分からぬか!と喝を入れられそう。 この、二律背反の世界、 囲碁における「不都合な真実」の最たるものでしょう。 |
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五子局の指導碁の不都合について 実際は不都合ではないのに、不都合なことが起きるのです。 「プロの先生に、私は今日、五子局で、良い碁が打てて、勝てました。 しかし、私が五子置く強い人が五子局で負けました。 それより、私が五子置かせる弱い人が五子で勝ちました。」 「それだけでないよ、五子局をプロの先生には勝つこともあるのに、 アマのイジワル先生にはどうも勝てない。」 「こんなの、不都合な真実そのものでしかないよ。 碁は勝敗を競うものなのに。」 |